大阪大学 大学院基礎工学研究科 電子光科学領域 向山研究室

最近の研究活動

断熱的手法を用いた2イオンのディッケ状態の生成

量子エンタングルメント(量子もつれあい)は量子力学をもっとも特徴づけるものであるとともに、近年注目されている量子計算をはじめとする量子情報処理の実現においては、量子エンタングルメントを含む状態(エンタングル状態)が中心的な計算資源として用いられることとなる。多くの物理系でエンタングル状態が実現されているが、なかでもイオンを含む原子系は孤立性が高く、エンタングル状態の生成および量子情報処理の実現において有望であると考えられている。

これまで原子のエンタングル状態生成において用いられてきた手法は、パルス幅や強度などのパラメターに敏感に依存するものであったが、断熱的手法を用いるとパラメターの変化に敏感に依存しないという ロバスト性が期待される。我々はこれを実験により初めて示した[1]。

2個のイオンの ディッケ状態の生成に用いる光パルスの幅や最大ラビ周波数を変えた実験を行い、フィデ リティの変化が10%以内にとどまっていること、また分離不可能条件が常に満たされて、イオンがエンタングルしていたことが確かめられた。

[1] K.Toyoda, T.Watanabe, K.Kimura, S.Nomura, S.Haze, S.Urabe: Generation of Dicke states using adiabatic passage, Phys. Rev. A 83, 022315 (2011).

[関連文献1] Rekishu Yamazaki、Ken-ichi Kanda、Fumihiko Inoue、Kenji Toyoda、Shinji Urabe: Robust generation of superposition states, Phys. Rev. A 78,023808 (2008).

[関連文献2] T. Watanabe, S. Nomura, K. Toyoda, and S. Urabe: Sideband Excitation of Trapped Ions by Rapid Adiabatic Passage for Manipulation of Motional State, Phys. Rev. A 84, 033412 (2011).

STIRAP(誘導ラマン断熱通過)を用いた単一量子ビットゲート操作

これまで原子系で実現された量子ゲート実験はほぼ全て、系のハミルトニアンによる動力学的時間発展を用いて行われてきた。このような手法は励起パルス面積や周波数制御の詳細に依存し、励起光源の強度揺らぎや周波数変動、空間的な強度不均一性な影響などを直接受けるものであった。このような手法を断熱的な手法に置き換えることで、上記のようなノイズ要因に対するロバスト性が得られ、また多粒子エンタングル状態を含む大規模な状態準備が容易になると期待される。

我々は単一40Ca+イオンの電気四重極子遷移の一つの下準位と三つの上準位からなるtripod系における2つの暗状態を用い、STIRAP(Stimulated Raman Adiabatic Passage)により断熱的操作を行うことにより、イオン系では初めて幾何学的位相因子のみによる単一量子ビットゲート操作を実現した [1]。Z,X回転において可視度0.9以上で占有数が変化することを確認した。

[1] K. Toyoda, K. Uchida, A. Noguchi, S. Haze, and S. Urabe: Realization of holonomic single-qubit operations, Phys. Rev. A 87, 052307 (2013).

RFドレスト状態を用いたデコヒーレンスフリー量子もつれ状態の生成

イオンにおいてエンタングル状態を生成するために、これまで主に光遷移が用いられてきた。波長の長いRF・マイクロ波遷移において直接エンタングルメントを生成する実験もごく最近報告されるようになったが、それらの実験は空間的に不均一な振動電磁場や大きな磁場勾配などの特殊な条件を必要としていた。

我々は、光によるスピン依存力エンタングリング相互作用の補助を必要とするものの、RF遷移に直接エンタングル状態を生成する方法を提案し、また実験的に実演することに成功した [1]。この方法によりカルシウムイオンの基底ゼーマン準位間RF遷移においてフィデリティ0.68でエンタングル状態を生成した。さらに、生成された状態がデコヒーレンスフリーである、つまり外界からのノイズに対してロバストであるという性質を持つことを示した。具体的には、生成したエンタングル状態のコヒーレンス時間が200ms以上となり、一イオンの場合のコヒーレンス時間と比べ一桁以上長くなることを示した。

[1] Atsushi Noguchi, Shinsuke Haze, Kenji Toyoda, Shinji Urabe: Generation of a Decoherence-Free Entangled State Using a Radio-Frequency Dressed State, Phys. Rev. Lett. 108, 060503 (2012).

3粒子のディッケ状態(W状態)の生成

3個のイオンを用いてDicke状態の生成と評価を行った。

エンタングル状態の一種であるディッケ状態は、測定や粒子ロスに対してロバストであるというような特質を持ち、精密測定への応用も期待されている。ディッケ状態の生成方法のみならず、その評価方法に関しても今なお議論が進行中である。

ディッケ状態は高い対称性を備えるため、全角運動量などのグローバルな観測量を用いて評価すれば、見通しの良い議論が可能となりまた測定のコストも抑えることができる。これまでのディッケ状態の生成実験では個別の操作や測定をともなう量子トモグラフィーにより評価が行われていた。

我々は、グローバルな観測量のみを用いて3粒子系のディッケ状態(W状態)のフィデリティの上限・下限を表す不等式を導出し、これを用いて実際に実験的に得られた3イオン系のディッケ状態の評価を行った。結果として、ディッケ状態が生成されたことを証明することに成功した。

多準位STIRAPを用いた4粒子ディッケ状態の生成

我々は4イオンのディッケ状態の生成に成功した [1]。

光子の系では最大で6粒子のディッケ状態の生成が報告されているが、原子系では励起数2以上のディッケ状態の生成はこれまで報告されていなかった。ディッケ状態はGHZ状態とともに多粒子エンタングル状態の代表的なものであり、精密周波数測定への応用も期待されている。

我々が提案し実演した方法は、イオンのレッドサイドバンドおよびブルーサイドバンドにわずかに離調した二色光を用い、それらの二色光の強度を独立に変調することにより、多準位STIRAP(誘導ラマン断熱通過)の原理を用いてディッケ状態を生成するというオリジナルな手法である。この操作はユニタリーなスピンスクイージング操作に対応することを示すことができ、これにより最大スピンスクイーズド状態の一つであるディッケ状態が生成される。この方法は個々のイオンへの個別アクセスを必要とせず、また強度変調の詳細によらないというロバスト性も備える。実際に実験で生成された4イオンのディッケ状態のフィデリティは0.84以上であった。

[1] Atsushi Noguchi, Kenji Toyoda, Shinji Urabe: Generation of Dicke States with Phonon-Mediated Multi-level Stimulated Raman Adiabatic Passage, Phys. Rev. Lett. 109, 260502 (2012).

Jaynes-Cummings-Hubbard模型の実験的な実現

Jaynes-Cummings-Hubbard(JCH)模型を初めて実験的に実現し、ポラリトン的励起の量子相転移を観測した。

二準位原子と光電場モードからなるJaynes-Cummings系を相互接続したJCH模型が近年理論的に注目されている。これは固体物理学における強相関系に類似したものを光共振器等を用いて人工的に実現しようという試みと関連している。JCH系は、Bose-Hubbard系などと同様に、ある条件のもとで相互作用と量子揺らぎとの兼ね合いによる超流動-モット絶縁体転移を起こすことが期待される。

我々は、二個のイオンの内部状態と動径方向振動モードを用いて、JCH模型を実験的に実現した。この系では、内部状態の励起とフォノンがJC相互作用を介して互いに移り変わるために、それらの結合したポラリトン的励起が系において安定に存在できる励起となる。このポラリトン的励起が各サイトに局在化した絶縁体相から二つのサイトに非局在化した超流動相への量子相転移(多体系の基底状態間の転移)の観測に成功した [1]。

[1] Kenji Toyoda, Yuta Matsuno, Atsushi Noguchi, Shinsuke Haze and Shinji Urabe: Experimental Realization of a Quantum Phase Transition of Polaritonic Excitations, Phys. Rev. Lett. 111, 160501 (2013).

[関連文献1] Shinsuke Haze, Yusuke Tateishi, Atsushi Noguchi, Kenji Toyoda, and Shinji Urabe: Observation of phonon hopping in radial vibrational modes of trapped ions, Phys. Rev. A. 85, 031401(R) (2012).

プレーナートラップのためのマイクロ運動補正法の開発

イオントラップ実験では浮遊電場に起因するイオンの余剰な運動(余剰マイクロ運動)をいかに抑えるかが重要である。 余剰マイクロ運動があるとイオンは十分に冷却されず振動量子状態を思うように制御できなくなるため、高感度に検出して浮遊電場を打ち消すような電場を加える必要がある。しかしプレーナートラップではレーザー光の入射方向に制限があるため、電極面に垂直な運動に対して従来の手法が適用できないという問題があった。我々はトラップポテンシャルを変調してレーザー光の進行方向に関係なく垂直方向の運動を検出する方法を提案、実証し[1]、この方法がプレーナートラップに対しても有用なことを実験で示した[2]。

[1] Y. Ibaraki, U. Tanaka, and S. Urabe, “Detection of parametric resonance of trapped ions for micromotion compensation,” Applied Physics B, vol. 105, no. 2, pp. 219-223, 2011.

[2] U. Tanaka, K. Masuda, Y. Akimoto, K. Koda, Y. Ibaraki, and S. Urabe, “Micromotion compensation in a surface electrode trap by parametric excitation of trapped ions,” Applied Physics B, vol. 107, no. 4, pp. 907-912, 2012.

[関連文献1] U Tanaka, R Naka, F Iwata, T Ujimaru, K R Brown, I L Chuang, and S Urabe: Design and characterization of a planer trap, J. Phys. B: At. Mol. Opt. Phys. 42, 154006 (2009).

多領域プレーナートラップでのイオンの輸送

異なる領域間のイオン輸送が可能な多数のトラップ領域から成る電極を開発した(図1)。 これはイオンを用いた量子情報処理において多数個のイオンを操作する大規模集積化に必要である。 輸送中のポテンシャル形状が一定に保たれるような電圧をシミュレーションによって求め、複数の電極電圧を制御すると、 定にイオンを輸送することができた。図2は電極表面から高さ約200μmに捕獲したイオンをz軸方向に1mm移動させたときの画像である。

図1

図1

図2

図2

永久磁石組み込み型プレーナートラップ

量子ゲート操作や量子シミュレーションのための、イオン間に疑似的なスピン間相互作用を生成できる高磁場勾配を持つプレーナートラップを開発している。多領域から成るトラップ電極に微小な永久磁石を組み込み、従来の方法では難しい数十T/mの磁場勾配をイオンの位置に発生させて強い相互作用を実現する。カルシウムイオンの位置を変化させてスペクトルを観測し、Zeeman分裂から磁場勾配を評価しているところである。本研究は筑波大学・都倉康弘教授との共同研究である。

プレーナートラップによるイオンの2列配列の実現

イオンの2次元的な配列は、相互作用のあるスピンの量子シミュレーションや量子情報処理における表面コードの実装などに有用である。そこで2列配列が可能なプレーナートラップを開発した [1] 。このトラップではRF電圧を変化させることによって、トラップポテンシャルをシングルウェル構造からダブルウェル構造に調整することができる。シングルウェル構造のポテンシャルでは、カルシウムイオンは図1(a)のようにトラップの軸方向(z軸方向)に一列に並ぶ。RF電圧比を変化させるとダブルウェル構造のポテンシャルができ、図1(b)に示すようにz軸に平行な2本の直線上に2個、3個、4個のイオン配置が実現できる。

図1

図1

[1] Utako Tanaka, Kensuke Suzuki, Yuki Ibaraki, and Shinji Urabe, “Design of a Surface Electrode Trap for Parallel Ion Strings,” Journal of Physics B: Atomic, Molecular and Optical Physics vol. 47, 035301, 2014.

[関連文献1] U Tanaka, R Naka, F Iwata, T Ujimaru, K R Brown, I L Chuang, and S Urabe: Design and characterization of a planer trap, J. Phys. B: At. Mol. Opt. Phys. 42, 154006 (2009).

イオンとナノ光ファイバーとの結合系の構築

冷却イオンと光子とを融合した系は量子ネットワークを構築する系として有望である。我々は冷却イオンとナノ光ファイバーのエバネッセント波との結合を試みている。このような系ではイオンとナノ光ファイバーとの距離が重要なパラメータとなるが、この距離はナノ光ファイバーの帯電状況に影響を受ける。そこでまずナノ光ファイバーの帯電状況を知るために、リニアトラップに捕獲した微小球を用いる方法を考案し、デモンストレーションを行っている。この研究は京都大学の竹内研究室との共同研究である。

40Ca+115In+の共同冷却

115In+を用いた光周波数標準の開発を目的として、40Ca+115In+の共同冷却を行っている。リニアトラップ中に1個のカルシウムイオンと1個のインジウムイオンを捕獲し、カルシウムイオンを冷媒イオンとして振動基底状態までの冷却を行っている。本研究は情報通信研究機構・早坂和弘研究マネージャーとの共同研究である。

[1] Utako Tanaka, Tomohiro Kitanaka, Kazuhiro Hayasaka, and Shinji Urabe, “Sideband cooling of a Ca+-In+ ion chain toward the quantum logic spectroscopy of In+” Appl. Phys. B 121, pp. 147-153 (2015).